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NINE
洋画を映画館で見るなんて何年ぶり? ってな感じの私。 あの字幕の字体はたまに見るけど NINEに合っているね。 ちょっと洒落た感じ? ダニエル・デイ・ルイスはかっこいいおじさまやなあ…。 一言でいうと この映画、好きです でも 舞台で観たい! 観ている間中 ああルヴォーさんかぁぁ…(舞台はね!) 堤さんで見たかったなあという思いがちらついていた私は またもやかなり偏った見方に…なったよ…この見方をしたから、(わたしは)楽しめた気がする パンフレットのあらすじを読んでみれば、確かにこんな話だったよなあと思うわけで、 今から書くことが、『タンゴ・冬の終わりに』の清村盛という強烈なキャラクターと、それに見事に息を吹き込んだ演出家と俳優、それからルヴォーという、堤真一に演技を叩き込んだ演出家に引っ張られたゆえの、かなり偏向した見方であることは間違いありません あと、NINEのほうは一度しか観てないので、勘違いしたまま書いている所があるかもしれません(駄目やん) 盛さんとグイド
『At Home at the Zoo』
大森南朋さんと小泉今日子さんが共演メンバーって…チケット…取れなさそう。 その前に。 シスカンパニーはいつも地方公演…なかった、よね?…あったっけ? むむむむ。 近畿じゃなきゃ さすがにね 奨学金の一部でほそぼそとやってるんだぞ まあバイトしてないのはどうかと思うけど でも講義期間中はバイトする時間と体力が…なかなか…(こら) そして春休み短期バイトするつもりだったのに探すのが遅くて 学校紹介のバイトはほぼ残ってなかったという(あほ) んんんんんー ああ生みてえ。 またも主語なし記事ですが…まあ、お分かりでしょう…(好きだなあ私) ああ、そうだ。 寺島しのぶさん、銀熊賞、本当におめでとうございます。 そんなにたくさん作品を見たことはないですが 素敵な役者さんだなあと思います。 『カブキの日 蜷川さんが 歌舞伎の家に女として生まれるということ について 書いておられて そこにメインで書かれていたのが 寺島しのぶさんだった(松さんのことにも触れられてたけど) それ読んで改めて ああ寺島さんて素敵な役者さんなんだろうなあ、と 舞台見たいなあ、と だからあれです、『血は立ったまま眠っている』行きたかったんです チケット取れなかった、よ。 『欲望という名の電車』みたかったなあ。 …これ結構何回も言ってるけど、さ。 なんつー豪華なキャストなんだ ブランチが大竹しのぶという時点でもうなんか…うん…すごいのに そこにまた、もう…素敵すぎるね。 ものすごく 高いレベルで 痛い 作品だったんじゃないだろうか うまく表現できないのだけど 最近若い人(私も若いんだけど!)が使うような(?) イタイ じゃなくて もっとこう なんだ 肌に直接刺さるみたいな 浸透力のある 痛み を伴う作品 のような、気がする。妄想。 蜷川さんが演出だと 『欲望~』はどうしてもそういうイメージになる 寺島しのぶさんといえば。 以前、『タンゴ・冬の終わりに』の水尾役は蒼井優がいいんじゃないかと書きましたが 水尾役を蒼井優に換えるならば ぎん役を寺島しのぶにするのは、どうでしょうか。 観てみたいなあ……………………………………………ああ、もう。 ああ、でも寺島さんだと、盛さんの二回目の「ホッ」のニュアンスが理解され、受け入れられてしまう気がするな あそこを受け入れられてしまっては 盛さんの孔雀は出て来られないのでは………多分……多分か。 いや、寺島さんは(盛さんにとって)残酷に、ぎんとして存在できる気もする(気もする、って失礼な) どうだろう、どうだろう……嗚呼、観たい 『タンゴ~』は、本っ当に好きらしい。わたし。ほんとに録画してよかった。 (そのとき初演のキルも放送したんだけどね、ノーマークでした、はい(泣)) そして盛さんは、彼、で、うごきません。不動です。(うるさい) ※観た人しか分からない内容、あそびでスイマセン。 観てないとどこがあそびかすらわからへん。相変わらずだ、わたし。 このお芝居で カノン の旋律が だいすきになった。 カノンを聴くとこのお芝居の青い光を思い出す 青というと青空を連想して『キル』のラストを思い出すのです ……。………。 「この世が生まれたときから、青い空は、世界の制服なのだ」 盛さんがたどりつけなかった境地 着ることが出来なかった青空という制服 盛さんは頭上に広がる青空を知る青年には戻れない 自分の内面ばかりに閉じこもる俳優という服を 「まだまだ着続け」てしまった 「いつでも脱ぎ捨ててやる」覚悟をいちども出来ないままに、老いを恐れ、 「俳優」を着続けて着続けて 演じ続けて 盛坊の孔雀(内面。反「頭上」)へ逃げ込む …おお繋がった(無理矢理すぎるだろ)。 お芝居の中で流れるうた。歌詞がおそろしく綺麗です 聴いていると 思いすぎたのは誰なのか 考えてしまいます 盛かぎんか連か水尾か 観るたびに私の中で結論が変わるんだけれど 今のところ ぎんと連が特に「思いすぎ」の人に見えます 盛さんはすこし、みているものが違う 「思いすぎ」とはまた違う気がします (本家ブログ 3/10投稿分を若干修正して)
おれは、NHKに森山未來に佐藤江梨子に大根仁に岡宗秀吾にぜんぜん負けてる。
↑トラックバックさせていただいた記事 …そう…たぶん、どんなにことばを尽くしても、私は、 圧倒的な じじつ、を前に、 伝え続けていこうとする想いを前に、 「負けて」しまうのだろうけど、 どうしてもなにか残しておきたかった、から、書いてみた。 …再放送、されましたね。 以下、本家ブログ『五月に或る人は言った。(仮) 』の、1月25日の記事より、転載。 ---------------------------- 『その街のこども』 録画していたものを、見る。(昼食時に…) 脚本 映像 音楽 キャスト どれも よかったな なんだろうかな… こう 私は 震災の時 まだほんの小さくて しかも、おなじ近畿にいたとはいえ 滋賀県でしたので 揺れの記憶とか 全くない だから こんなことを書ける立場じゃないけど でも こういう伝え方があるんだ こんなふうに抑制して 伝える 伝え方があるんだ と思った ふとしたやり取りの中に 心に残る音楽の中に 「街が消えた」 という呟きへの 深い思いが入り込んでいる そういう作品だった いろんな立場の、いろんな年齢の、いろんなひとが、いたんだな それぞれのおもいが、あるんだな ふたりで来たからこそ 歩けた道だけれど ふたりで歩いたことには 意味があったけれど 彼の道は 別にある あの道は、 突き詰めれば 彼女が あの日に向き合うための 道だったんだ 彼は 別の道から あの日に向かうのだ 「…やめとくわ」 の声と、 「ほな、また、来年」の暖かな声が まだ耳に残っている きっといつか彼は、横断歩道を渡る あの夜背中に感じた 彼女の暖かい 手を追って …そういう出会い。 彼女が三歳年上っていうのが あの、別れのシーンで、ものすごく迫ってきた 「ほな、また、来年」と 横断歩道を 渡れる彼女 (佐藤江梨子さん、良い笑顔やった) 彼を 抱きしめることの出来る 彼女 彼もいつか、誰かを抱きしめる人に、なるだろうか ----------------------- 「うちが作ったビルがいかに良くて、地震が来ても絶対安全ですよ、ってことを、こう…説明させていただく…」 「…絶対安全なんて、ないんちゃうの」 「ああ…まあこっちは、商売なんで、売れれば、それでいいんで。」 絶対大丈夫、絶対安全。 何気なく口にしてしまう言葉 絶対大丈夫、は 絶対にありえないと 骨身に沁みている人たちの、「何気ない」会話 わたしは、この地点にすら、立ててない そのことに気付かされたドラマでもあった ----------------------- んーなんか…うまく書けないけど… なんか…ちょっと、書きたいことと違う気もするし… なんか、ただ(ほんとうに、ただ)、「見てた」だけな感じもするし… ただ、覚えとかないといけないなあ、と思ったのはほんと、です とりあえず これは今の思い…の一部 森山未來 ずっと気になる存在ではあったけど 今回ドラマを観て、さらに、気になる人、に… きちんと演技を見たのは 今回のドラマ以外は、 去年の夏『メタルマクベス』の映像のみ 歌うまいし…くせ無くて素直な歌い方で… ダンスは言うまでもなく… もっと知りたい人だ このドラマでの彼は… なんだろう… 一見無表情の奥に、いろんな表情があるっていうか………うまく言えないけどさ… (全然関係ないけど、蒼井優ちゃんもそういうところがあるような気がするんだな…) 役柄としての彼だけでなく、「森山未來」という表情、身体の奥に、 畳まれているもの、それはどんな形をしていて、どんな色をしているんだろう… そんなふうに、興味を持ってしまった うん…やっぱり、もっと知りたい人、かな んまあ…あとは… 最後、横断歩道で一人残った後の表情が 一人黙々と、粘土で「人」を作り続ける横顔が 「窓ガラスは割れないの、そういうことになってるの」と言われた後、言った人を見つめる表情が なんか… なんだろう とても、好きです (台詞は全部ウロ覚え) 引きこまれて この二人を、ちゃんと見よう、と思わされたのが はじめのほうの居酒屋のシーン youtubeにあったので貼っておきます。 追記。 公式の、佐藤さんの、芸能界に入ったきっかけ、なんかも見て… ひとつひとつのシーンや会話のテンポ、もちろん会話の内容も、 いろいろ思い返して… …もうすこし、たくさんの人が見る時間に、再放送しないかなあ、と思います 最後のシーンは、今年の、その日に、撮影されたと言うことだった さらに追記。 脚本の渡辺あやさん。 『ジョゼと虎と魚たち』の脚本を書いた人 らしい ああ…なんだか納得。 自然な会話が積み重なっていく感じ、とか 似てる。 なんかねえ、ことばが、自然に、相手のことばに被ったりしていくから 積み重なる っていう表現があってる気がするんだ 「フィクション」の世界で、あの「被り方」は、 ありそうで、ない…気がする 書いてる渡辺あやさんも、聞いている私も関西人だから 心地よく聞けるのか、それとも、そんなの関係なく、彼女のコトバは心地いいのか どうなんだろ? ------------------------------------------------ 阪神・淡路大震災15年 特集ドラマ 「その街のこども」 (1/17 23:00~24:13) 作・脚本…渡辺あや 音楽…大友良英 演出…井上剛 プロデューサー…京田光広 制作…NHK大阪放送局 キャスト …森山未來、佐藤江梨子、津田寛治 ほか
ブログタイトル下の説明は大好きな大好きなお芝居『タンゴ・冬の終わりに』の台詞から。
「高校生のころ、よく学校をサボって映画を観に行きましたが、時々こんな体験をしたことがあります。映画館の中でたっぷり半日をすごして、外へ出ると、ふと自分の帰る家の方角が分からなくなっている、そういう体験……いまのあたしはそれに近い恐怖感を持っています。このまま外へ出たら、どこへ歩き出していいかわからない……それにひきかえ、ここに踏みとどまるかぎり、夢の中に生きられる (略) ただ、それなりの闘いはしなければなりません。」 本が好き、お芝居が好きな私が、ひっそりと、書きたいことを、積み上げていきたい。 本家ブログから、記事を転載しています。 こちらは予備ブログなので、ほんとうにひっそりとやっています。 本家ブログは…こちらへどうぞ。→五月に或る人は言った。 2009年10月以前の記事も載せます。すこしずつ。
【ひとつめ】
フォボス あたしは、今の火星にだって絶望しない。だって絶望は人間が頭の中で作り出した絵空事だから。でもね、同じくらい希望も持たない。希望も人間が頭の中で作り出した絵空事だから。 とんび (前略) 時折、舟の上で、赤鬼と妹(「あの女」)が大笑いしていたのを思い出します。あの時は、妹が笑っているのだと思っていたけれど、本当は絶望していたのかなと思います。その姿を思い出すたび、やっぱり僕は笑ってしまいます。こうして僕にも絶望の意味が少しわかってきました。けれども僕は絶望しないと思います。今日もこの浜に海の向こうから何かが流れ着いてくるからです。僕が息を吸うと、海の向こうは浜にうちよせてきます。僕が息を吐くと、海の向こうは浜から沖にかえっていきます。僕は海の向こうと一緒に息をしています。 そしてその海の向こうには、妹の絶望が沈んでいます。 --------- 【ふたつめ】 ワタナベ ああ、人間の肉を食べた私の姿が、自分の鎖骨の中に残っている。消すことのできない自分の姿が鎖骨の中で震えている。 (中略) ダイモス (お腹に手をあてて)わたしにはわかるよ。四歳の姉さんにその肉を食べさせたお母さんの気持ちが。子供はまだ人間じゃないの。だから、何を食べても大丈夫。何でも噛み砕くのよ。 フォボス 私は、噛み砕けなかったのかな。口の中でいつまでも残ってる。 ダイモス 何が? フォボス 人間……であること。 あの女 はじめて、あたしはあの人とあった時、こう言った。「あんたは、鬼よ。人を食うから鬼なのよ」 ゴメン、間違ってたよ、あたし。鬼が人を食うんじゃないのね。人が鬼を食べるのね。人間が鬼を食べるのね。人間が生きるために食べるもの、それが鬼なのよ。そして、覚えてるよ、あたし。腕をさし出しながら、いつかあなたが言ったこと。「食え、生きろっ」 あたし、食ったよ、そして生きたよ。 なんやら ふたつめは どちらも カニバリズムっぽい ちょっとずつ形を変える主題 「ちょっとずつ形を変える主題」といえば ひとつめの 希望と絶望 もそう 人間であることの希望と絶望。 人間として、たべていきることの希望と絶望。 食って、生きる ことができなくても 噛み砕けなくても 生きつづけなくてはならないフォボス なぜなら 「ペールギュントが帰って来た」から 長く失われていた 希望 が帰ってきたから あと…ダイモスにあたらしい希望(いのち)も出来たね 希望で終わらない物語は傲慢な気がする とかなんとか、野田さんはどこかで言っていた気がする(曖昧やなぁ) 『キル』も新しい希望(いのち)だし… なんだか、いろんな作品同士で いろんなことが循環している 台詞を並べただけで うまく説明できませんでしたが…… 今年の 高校演劇全国大会で演じられた 『赤鬼』を見て つらつら考えたこと、でした。 ---------------------------------------- 新潮 2009年2月号 収録 はやく単行本にならないかな… 野田秀樹『パイパー』 キャスト 松たか子、宮沢りえ、橋爪功、大倉孝二、北村有起哉、野田秀樹 田中哲司、小松和重、佐藤江梨子、近藤良平 ほか ---------------------------------------- 解散後全劇作(1998) 収録 「赤鬼」 野田秀樹 新潮社
すごいタイトル(笑)
55steps。 芝さん観れた!生・芝さん見れたよ。念じれば通ずだよ。やったね(うるさい) しかも阿久津さんもいた! これで加藤さんがいれば完璧…は、贅沢だよね。 で。芝さんですが。 声かっこいいなあ… 低音好き。 お腹に響くような感じがして…深みがあるというか… たぶん、バリトン、って言うんじゃないかな? 一幕、チム・チム・チェリーの軽快でウィットに富んだ感じの歌声にすっかりハマる。 二幕では、大好きな「ジーザス」の、『ピラトの夢』を歌ったときの「重み」にずしっとやられ、 (ピラトやってほしいなあ) 「エビータ」の、お父さん役?か、なにか分からないけど、悩める青年、のような役柄の人とデュエットしたときの やさしいのに厳しいような気もする、低音ににっこりしてしまう。(低音どんだけ好きなの) 青年役の人の高音を、いい感じに下から支えていた。(偉そうにすいません) あ、あと、大好きなJCSのユダを阿久津さんがやっていて、 あーこれが前テレビで見たソング&ダンスバージョンのユダなのかあ、生で見れたなあ、 とにこにこしていたら、芝さんもコーラスでちょっと歌ってくれた(くれた、って…)。 阿久津さんのものすごくエネルギッシュな声(ホールが震えているような感じがした)を これまた下から支えている感じだ。 阿久津さんが、地上に波が広がる感じの声なら、 芝さんは地面の下、深くにもぐって、そこからじんじんと声が響いているように思えた。 …うわー感覚的過ぎる。 でも芝さん化粧濃かった(言っちゃ駄目) 夢から醒めた夢を見たときも思ったのだけれど 私って、加藤さんの演出が好きみたい。 そして今回は、照明も、やっぱり普通の公演とは違っていて、ちょっと豪華で なんだか、より、55stepsという「ショー」を楽しめた気がする。 今回アイーダの歌も何曲かあったけど、 阿久津さんと濱田さんが歌ったわけではなかったために 二人の声が懐かしくなって ひさしぶりに、アイーダのCDを聞いてしまった。洗い物しながら。お昼ごはん作りながら。掃除しながら。 ながら聴き、すきです ノリノリです(それはちょっとうそ) あらためて、私はアムネリスがすきなのだと思う 「お洒落は私の切り札」が可愛い。 着飾る、という行為の下に隠れた彼女の思いを考えると、可愛い歌も切なく聞こえるが、 まあとにかく、可愛い。(なんやそれ) アイーダと出会い、真実こそが切り札と知る彼女は、 最後の最後に、アイーダとラダメスの愛(なんかこっぱずかしくなってきたぞ…)を 真実とうけいれれながらも、王としてふたりを地下へ送る。 愛する人を持つ女の人は、「おはなし」の中ではこんなにも変わっていける。 女の人独特の弱さから、女の人独特の強さへ。 キャラクターとして、魅力的だなあと思う。 おととい、たまたま、メタルマクベスを全部見まして。 松たか子さんの熱演がすごいなーと思ったんだけど。歌かぁっこいいし! 「わたしの殺意は、まるでタマネギ」 「剥いても剥いても魂は、むなしい」 という歌や、 「小さい人間が、大きいことをやるのは、こんなに大変なの。 ……あーあぁ、小さい方にしとけばよかった……」(細部曖昧) という、印象的な台詞を聞いて、 アムネリスは、アイーダのおかげで、そして、恋のおかげで? マクベス夫人にならなくてすんだのかなあ、と思った。 着飾ることは、悪くすると、 魂がタマネギになること(どんだけ豪華になっても、満たされない魂を持つこと)に、 近づいていく気がするから。 ……あ。 着飾る、と書いたので気付いたんだけど マクベス夫人とテムジンて似てるような…(またも思考が飛ぶ) テムジンはちゃんと、むなしさに気付いて生まれ変わるけど。 「俺はまだまだ着続けてやる。 イキテイキテ、生き続けるように着るのだ。生きて着るのだ、着て生きるのだ」 という台詞は、殺意と欲にとらわれて、 芯のないたまねぎのようになり、剥いても剥いても魂がなく、 満たされない夫人の姿にかさなるんじゃあないかな。 たまねぎを「ちゃんと剥く」ことは、「制服を脱がせてやる」ことと、イコールじゃないかな。 微妙な終わりですが、これにて一旦終了。 以下、キャストなど
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